今回は、ちょっと真面目に。
最近、命というものを考えることが多くなった。
別に、何かの宗教に目覚めたという訳ではないが、ふと思いを巡らせていると、命について考えている。
その原因はわかっている。
最近、周りで命の関係する出来事が頻発しているからだ。
友人・知り合いの御出産。
知り合いの死・知っているワンコの死。
ココ半年で、両手で納まらないほどである。
出産は、喜ばしいことである(^^)
(ちなみに、自分は、赤ちゃんのちっさい手で、指を握ってもらうのが好きである♪)
周りの皆が、笑顔になる。元気になるのだ。
自分は男だから、一生体験できないが、女性はすごいと思う。
本当に、自分の体を傷付けてまで、ヘロヘロになってまで、次の命を紡ぎ出している。
男の友人の数人に、子供が生まれた。
そして、ほとんどの友人が出産に立ち会っている。
新たな生命が、誕生するのを、見届けるというのは、どんな気分なのだろう。
自分が、その立場になれるかはわからないが、
もし、自分の奥さんが、出産するときは、是非一緒に生命を生む事の大変さを見届け、少しでも、奥さんの痛みを分かち合いたいと思う。
反対に、死は、突然にしろ、老衰にしろ、悲しい。
成人してからの、自分に一番近い人の死は、父方の祖父と、母方の叔父である。
直接のつながり(親)ではないので、本当の傍からいなくなる体験をしたことがないので、
感じ方が違うかもしれないが、葬儀に参列し、棺の中を見ると、その人との、思い出があふれて来る。
しかし、不思議と、怒られたりしたような悪いことは思い出さないで、旅行したこと、遊びに行ったことなど、楽しいことしか浮かばなくなる。
そして、その人の死を悲しみ、泣き崩れる人を見ると、自分がもし今死んだら、これだけ悲しんでくれる人はいるかな??
残された人は、良い思い出を思い出してくれているかな?
最近、周りにはとってもお世話になっている方が沢山いらっしゃるので、
もし今自分が死んだら、今までのお礼が言えない。
と思って、死んだ時用にお手紙を書こうかなとも、思った。
宗教で、よく輪廻転生というのを聞くが、
あの時、あの人が亡くなったから、あの子が生まれてきたのかな??
本当に命というものは巡っているのだろうか?
恋人同士が、亡くなった時は、あの世では一緒に幸せにネ。
ということがあるが、命がもしめっぐているものだったら、あの世でも別れが待っていることになる。それだったら、転生なんていらない。
自分の愛犬が、なくなった時は、虹の橋の袂で親(飼い主)の事を待っていると言う。
僕は、それが本当であって欲しいと思う。
先に、自分が死んだら、虹の橋の袂で待っていよう。
そして、転生は拒否しよう。
何よりも、今は
タウ&神威の為
病気だろうが、事故だろうが
死ねない
生きたい